2015年度も残すところあと5ヶ月。

上半期、これでもかとこの数年行けなかった所へ行き、遊びました。
8月、金沢〜北海道〜岩手〜新潟の北編20日間。
那覇宮古・伊良部〜石垣〜西表の南編14日間。
北海道では息子の山村留学に全員でついて来た楽しい家族と仲良くなったり
岩手では山奥の湯治場で浮世離れした不思議な空間を体験したり
伊良部島では海と太陽のもと弾けんばかりの開放感をあじわい
西表島では自然を敬いながら生活する人々とそこにどんと構える自然に圧倒され

5月からイベントにもいろいろと顔を出し、9月にはYAMAJAMの本番。
飲んで話してよく動いた上半期でした。

そして3月いっぱいで7年務めた市場を辞め、
4月に103歳で祖母が他界、
5月に入籍
9月に妊娠分かり
先日10月17日に近所の吉田神社で結婚式
という人生の節目となる出来事が目白押しの上半期でもありました。

祖母、カヅばあちゃんは本当に生き仏のような人で、
大正元年生まれで戦時中3人の子どもを守り、生涯6人の子どもと多くの孫、ひ孫の面倒を見ました。
どんな時も自分より子ども、孫、ひ孫、ご近所さん、世の中のたくさんの人の幸せを願った人。
会うたびに「いい人と巡り会って幸せになれますように」と私の手を握ってお祈りしてくれていた姿が忘れられない。
最後は2月頃、婚約していた夫と会いに行いに。
まだら呆けが出ていて満足な会話はできなかったが、ふと意識が鮮明になる瞬間に
私たちの手を握って「ありがとーありがとー」と涙を浮かべていたのが忘れられない。
二年前の11月、一度生死をさまよって帰って来た祖母が
白い鳩に「あなたはまだやり残している事があるので帰りなさい」
と言われたそれは一体何だったのだろう。やりきって行ったのだろうか。
また、そのとき「まだこの世か」「長生きもつらい」と言っていた。
1世紀分生ききった祖母の言葉はどれもリアリティがあって説得力があったな。
手紙によく出て来た言葉で多いのはたぶん「ごめんなさいね」と「ありがとう」。
ばあちゃんの家の柱に貼ってあった直筆の「見てござる」の存在感もすごかった。

ばあちゃんの記憶は強烈に残りながらも死んでしまってから火葬されるまではあっと言う間の出来事で
そしてあの日から今日までもあっと言う間に季節は進んで、、、

今、つわりが辛く思い通りにならない生活に疲れてしまったこのタイミングで、
そんな祖母の事を回想してみたりする。なんとなく。
この辛さ、6回も耐え抜くなんて強じんだ。笑

ばあちゃんが死んでから、ばあちゃんに聞きたいことが結構出てくるもんで。
戦争のことや日々の事。この激動の100年をその身体で体験してたんだもんな。
たまに夜、空に向かって話しかける。ばあちゃーーーん。