妊娠8ヶ月も半ば。
お腹の中はすくすく育っているようです。約1600g。


それに伴って最近の悩みは動悸息切れが激しいのと食後の肋骨の痛み!
せっかくいい季節になってきたのに、頭は元気なのにもったいない毎日なわけです。あぁ、そんな今も息するのが辛い。。


そして春風の夜道を歩いていると無性に飲みたくなる!ジャンクなおつまみでビールとチューハイとハイボールをガブガブいきたい!!!
色々な我慢が爆破しそうな、できない3月。出来る日が待ち遠しいわけです。
走りたい。無茶したい。馬鹿したい。笑。

2015年度も残すところあと5ヶ月。

上半期、これでもかとこの数年行けなかった所へ行き、遊びました。
8月、金沢〜北海道〜岩手〜新潟の北編20日間。
那覇宮古・伊良部〜石垣〜西表の南編14日間。
北海道では息子の山村留学に全員でついて来た楽しい家族と仲良くなったり
岩手では山奥の湯治場で浮世離れした不思議な空間を体験したり
伊良部島では海と太陽のもと弾けんばかりの開放感をあじわい
西表島では自然を敬いながら生活する人々とそこにどんと構える自然に圧倒され

5月からイベントにもいろいろと顔を出し、9月にはYAMAJAMの本番。
飲んで話してよく動いた上半期でした。

そして3月いっぱいで7年務めた市場を辞め、
4月に103歳で祖母が他界、
5月に入籍
9月に妊娠分かり
先日10月17日に近所の吉田神社で結婚式
という人生の節目となる出来事が目白押しの上半期でもありました。

祖母、カヅばあちゃんは本当に生き仏のような人で、
大正元年生まれで戦時中3人の子どもを守り、生涯6人の子どもと多くの孫、ひ孫の面倒を見ました。
どんな時も自分より子ども、孫、ひ孫、ご近所さん、世の中のたくさんの人の幸せを願った人。
会うたびに「いい人と巡り会って幸せになれますように」と私の手を握ってお祈りしてくれていた姿が忘れられない。
最後は2月頃、婚約していた夫と会いに行いに。
まだら呆けが出ていて満足な会話はできなかったが、ふと意識が鮮明になる瞬間に
私たちの手を握って「ありがとーありがとー」と涙を浮かべていたのが忘れられない。
二年前の11月、一度生死をさまよって帰って来た祖母が
白い鳩に「あなたはまだやり残している事があるので帰りなさい」
と言われたそれは一体何だったのだろう。やりきって行ったのだろうか。
また、そのとき「まだこの世か」「長生きもつらい」と言っていた。
1世紀分生ききった祖母の言葉はどれもリアリティがあって説得力があったな。
手紙によく出て来た言葉で多いのはたぶん「ごめんなさいね」と「ありがとう」。
ばあちゃんの家の柱に貼ってあった直筆の「見てござる」の存在感もすごかった。

ばあちゃんの記憶は強烈に残りながらも死んでしまってから火葬されるまではあっと言う間の出来事で
そしてあの日から今日までもあっと言う間に季節は進んで、、、

今、つわりが辛く思い通りにならない生活に疲れてしまったこのタイミングで、
そんな祖母の事を回想してみたりする。なんとなく。
この辛さ、6回も耐え抜くなんて強じんだ。笑

ばあちゃんが死んでから、ばあちゃんに聞きたいことが結構出てくるもんで。
戦争のことや日々の事。この激動の100年をその身体で体験してたんだもんな。
たまに夜、空に向かって話しかける。ばあちゃーーーん。


気がつけば一年ちかくぶりの更新。
一個前の投稿の時は少なくとも来年一年は市場で働くぞ!と心に決めていた。
そしてその2ヶ月後徐々に環境は変わり始め、今から3ヶ月前に私は市場を辞めた。
東京での朝4時に起きる生活は京都で朝7時に起きる生活へと変わった。
一人で食べるご飯は二人と二匹で食べるご飯へと変わった。
仕事が次から次へと降り掛かってくる毎日から自分でつくる毎日へと変わった。


何処にいても、どんなテンポで生きていても、
時計の針は同じように進んでいるこの不思議。


突っ走ると立ち止まった時の空虚感が大きい。
焦らないことを優先すると結局勢いがなくなってつまらない。


久しぶりに考えなくてもいい事をあれこれ考えてみる。


ま、心躍ることをしよう。

勧められていた映画 ALL IS WELL をついに観た。


子どもは優秀ならそれでいい、結果は後からついて来る。


そうだ、そこが原点だった。そうやって育ててもらったし自分がただただ伝えたいことはやっぱり「あなたのそこが最高!」の精神。


そういう生き方。


自分をもっと素直にしてあげなきゃ。そこからはじめて本当のパワーが爆発するんだ!青空のもと、澄みきった空気のなか、最高潮に高まる身体。きっとうまくいく。



期は熟した!
とりいそぎ、来年の9月の約束は守る。それだけ決めた。


んー、楽しみになってきた。細胞がぞわぞわするこの感覚が戻ってきた。脳みそクリアになってきた。

おそらく、激、自然を求めている。
近場ですませようとするけど足りない、足りてないっ!

むせかえるくらいの自然に身を投じていたい。
脳化されていない場所で生きたい。

社会人7年目28歳の覚書として。


能動的でなく責任感無く生命力無く惰性で生きている
人間の中にいることの苦痛
都会という脳内社会
現実のふりをした非現実


バランス感覚を崩壊させる忙しさ
忙しさという名の惰性
惰性の連鎖
そして本質の喪失


求める心の解放
身体が違うといっている
たまにすれ違う安息の瞬間
これが探していたものだと思うと
とどまらない拠り所


魂が響き合うとき
苦しさを笑に換えられるとき


そしてまた繰り返される
病的な重圧と拘束
もどってくる
逃れられない
変わらない
途切れない
繰り返される
解放されない毎日


ある意味で興味深く
腐った社会
そしてそこに生きる自分
酒を飲んでぶっつぶれても
病的な明日はまた当たり前かのようにやってくる


そして時間はたつ
さらさらと
アワが出て紅花が出てルリタマアザミが出て
セダムがなくなったかと思うとアルケミラもなくなって
気がつくとクレマチスも終わって
ワレモコウがどっとやってきたかと思うと
コニカルがでてススキ類が出て
またカボチャに追われる時期になって
葉牡丹の準備がはじまって
年が明けて
麦がでて
ルピナス、ジニア、キャンディタクト、と
また春が始まり初夏へと移り変わっていく


ある意味で
人間の忙しさと
自然の忙しさと
その両方の忙しさに挟まれているのかもしれない


だれかのせいではない
だれかのせいでもあるけれど
だけどもしかし、
要するにつまるところ、
自分の時間軸を保ちつつ
周りと共存協調できる感覚が必要
どこにいてもなにをしていても



ただ、
どんな環境にあっても
最低限周りにいる人間を愛せる余裕だけはもつべき
最低限自分を愛せる余裕だけはもつべき
愛すべきこの人生を最大限愛さねばならないのだ
そうできないでどうする
そこだけは正直でなくてはならないのだ



悩ましくも分かりやすく
余裕がなさそうで多分余裕があるから考えてしまう
そんな28歳の蒸し暑い夜に。
朝3:30出勤と謎の吐き気にも負けない強さを。
私は踊りたい。
私は私を守りたい。

花で幸せになる。
突如現れた自由時間、身体ほぐしに整体はたまたエステに行くか、普段会えない友達とごはんするか、温泉でも行くか、、、
結局、大好きな花やさんで自分用に2000円分、お任せ花束買ったら満たされた。
植物のエネルギーがみなぎる店内はプロの為せる技やな。あらゆる場所から長旅してきた植物をまた生き生きと生かす。なかなかできそうでできないことだ。