本日、観てきました『100000年後の安全』。


風向きを気にするようになって一ヶ月。
見えない危険への効果の分からない防御。
とにかく、心からこんな生活は嫌だ。
と、そこで初めて原子力発電につて自主的に知ろうとし始めた。


しかしながら問題は10万年も続くのだということを、
目先の日々のことばかり考えていたところで突きつけられる。



使用済核燃料が安全になるまでには10万年かかるのだという。
温暖化の防止に有効だと原子力発電が推進されているけれど、
目先のわかりやすい問題とすり替えが行われているだけだった。
温暖化が阻止できたとしても、
もう後戻りできない至極重大な問題を私たちは抱えてしまっている。
フィンランドはある意味いさぎがいいのかもしれない。
日本では「リサイクルする予定」の使用済核燃料を暫定的に保管し、
その行き先も決まらぬままさらに、日々55基の発電所で生み出し続けてきたのだ。


各電力会社が抱えきれる問題ではないはずのとんでもない選択、
「日本で電力の確保のために原発を使用するか否か」という判断を
ダイレクトに国民がしてこなかったことで「つくる→使う→後処理する」の流れが見えない。
使うところしか関わってこなかったことへの反省。もどかしさ。